好古庵について

好古庵千仙叟宗室居士邸地跡

好古庵

ここは、万治二年(一六五九)五代藩主前田綱紀公が京都から茶道奉行として金沢に招かれた裏千家四代仙叟宗室居士の屋敷跡地である。平成八年、仙叟居士三百年忌において十五代千玄宗大宗匠の記念碑が建てられている。

当時、仙叟居士がここで今日庵の写しである臘月庵(ろうげつあん)を建てたように、ここには裏千家設計・監修で千玄室大宗匠揮毫の好古庵(長四畳)の席がある。小間の中でも古格の形式をとどめている。そして又、茶道口側には仙叟堂が設けられており、ご遺徳に際して一碗が供えられている。

母屋は前田家の縁から十八代当主前田利祐氏揮毫の「松雲関」という八畳の広間と六畳の続き間。そして、主に稽古に使用している「芳月軒」という八畳広間と大炉が切ってある六畳の続き間がある。

日頃は、今日庵業躰の奈良宗久氏が茶道教場として日々稽古に励んでいる。

以前ここには、奈良宗久氏の祖父である九代大樋長左衛門が晩年を過ごしたことからも塵穴が茶碗を焼成する時に使う鞘を用いたり飴釉の蹲踞があったりと大樋焼とのつながりを窺うことができる。因みに仙叟居士の頃、門前では利休七哲でキリシタン大名でもあった高山右近が指揮した東惣構堀の小川が流れており、川海老や水の流れが間近にあり、仙叟が初代大樋長左衛門との間で作陶した中で渦紋や川海老が仙叟好みといわれる情景が思い描かれる。

仙叟居士が指導した佗茶の茶風は、その後も金沢で息づき、この地における発祥の地として伝統と歴史を持ち、今日に至っています。

※金沢市教育委員会資料抜粋